2014年12月10日水曜日

朝の神託的な何か(その1)

樹木と比べたら、神だか守護霊だかハイヤーセルフだか魂だかわからない存在は人間の言葉を操れるようである。あの世はnon-verbalな世界であるけれど、人間をやっていた経験があるのかもしれない。

単語や短いフレーズが伝わることがある。夢なのかもしれないが、夢は映像付きだ。音だけなのである。耳ではなく頭の中で伝わる、夢の中での音。

朝起きた直後の、半分寝ているようなときだ。だから忘れてしまうこともある。半分寝ているから身体を動かせず、スマホにメモができないので、忘れないように何度も頭の中で繰り返して覚えようとする。このがんばりを他のことに応用できれば!

音で伝わるので、同じ発音の漢字が複数ある場合、どれだかわからない。前後の文脈があるような長い文ではなく単語や短いフレーズなので、結局何なのかわからないこともある。

日本語とは限らない。知っている国の言語のときもあるし、何語かわからないこともある。わからないときは音から綴りを推測してアルファベットを並べて、Google翻訳で試行錯誤してみて、わかるときもあればわからないときもある。

毎日とは限らないが、単に忘れているだけで実は毎日なのかもしれない。

例を晒してみる。

「水はすべて水とは限らない」

うん、そうだね。水道水やミネラルウォーターは、水分子H2Oだけじゃないね。ミネラルやら入っている。水中だと電離して金属イオンいやそういう直接的なことではないのではないか?啓示って直接的じゃないのが定番。

人間は見えているものを見るのではなく見たいものを見る、真実を信じるのではなく信じたいことを信じる生き物なので、そういった主観という洗面器に顔を突っ込んでいる状態から少し引いて物事の多面性を見ろ、ということなのだと解釈した。けれど、それは既に自分の中ではセオリーだ。ということはまた別の意味なのかもしれない。

まるで禅問答だ。

「心の変容のルール」

いきなり禅問答でわからなすぎたので、変化と変容の違いをググってみたところ、漢字から推測される意味とは若干異なっていた。変化はchange、変容はtransformation。変化は小さい、変容はガラっと変わる。変化は徐々に、変容は突然。

変容は成長曲線を想起させる。心が変化でなく変容するのであれば、きっと戸惑うだろう。いや、自分自身は変容したことに気づかないかもしれない。まるで寄生獣の泉くんのように。気づくにしても気づかないにしても、変容と言えるぐらい変わったら面白い。

しかし変容ってわかりづらいな。もしかして、changeとtransformationとtransfigurationの日本語訳に困って、変化と変容と変貌にしたんじゃね?

一方外国語の場合はメリットがある。知らない言葉を覚えたり、忘れていた言葉を思い出したり。何を伝えたいかわからなくても充分ラッキー。しかも、日本語は一回だけで繰り返し無しだから自力で繰り返して忘れないようにがんばるけど、外国語は繰り返してくれるところがヌクモリティー。

知らない言葉を神だか守護霊だかハイヤーセルフだか魂だかわからない存在から教わるというのはファンタジックだが、実際は知らないのではなく忘れていたことさえ忘れていただけかもしれない。

数字が聴こえたことがあり、日本語だったので一回だけ、しかも単純な羅列だったので覚えられなかった。電話番号ぐらいの桁数だったが電話番号っぽくなかった。もしかしてロトの当たり番号だったのだろうか。