樹と話す、いや話せているつもりになっているだけの頭がおかしい自分がそんなつもりになったのは気功を習ってからで、つい数カ月前からである。
ところでみなさんは、今住んでいる部屋が夢に出てきたことがあるだろうか?自分の場合はよくあり、大抵実際より広くて物が少ない。また、さほど心地はよくない。侵入者がいることが多く、落ち着かない。しかし、いちどだけ心地よい夢を見たことがある。まだ気功なんか嘘だと息巻いていた数年前のことだ。
夢の中で外から家に帰ってきた。部屋のそこここに体育座りして誰かいる。顔も性別も服装もわからないが、人っぽい。しかし怖くはなく、部屋の中央に進むと角っこに大きな樹が生えていた。
樹は天井を突き抜け、天井には樹のために穴があいていた。穴からは霧のようなこまかい雨が落ちてきていて、しかし冷たくはなく霧雨の美しさ、優しさだけがかんじられた。樹は長い枝をしだらせ、自分のすぐ目の前まで届くその枝には、大きな白い花びらを持つ花がいくつもついていた。両手に余るぐらい大きく、花びらは4枚だったように記憶している。
白い花が好きなので、とても美しく優しく好ましい印象の樹だった。樹の根元には土があり、他の床はフローリングだった。樹は西側にあり、南側を向くと座っていたうちのひとりがなにか話しかけてきているようだが声はきこえない。くつろいで、とかまぁすわって、と言っているような気がした。やはり顔も性別も服装もわからない。とても落ち着ける、心地よい、おだやかな雰囲気だ。
南側はほぼ全開になっていて、アジアンテイストな昼下がりだった。夢を見た直後は昼下がりだと解釈していたが、夕暮れのような色だった。天井の穴から見えた空は夜だった。
実際は南側は全開にできない。天井に穴はないし、上には部屋がある。しかし部屋の広さは実物に近く、なにより全般的な心地よさが妙に印象に残る夢だった。
夢判断で調べてみたところ、家に樹が生える夢はよくない夢であるらしい。また、夕暮れや夜の夢もよくない解釈が多い。それからも夢を覚えていたときは夢判断でググって調べ続けたが、大吉夢も悪い夢もひとつも当たらない。シンボルの持つイメージがマジョリティとは合致しないのだろう。それでもトライしつづけたが、ハズレばかりが何年も続くので夢判断は卒業した。
白い花は白木蓮ではないかと見に行ったが、はなびらの形が違うし、てのひらふたつぶんよりはちいさい。また、枝はしだれていない。しかし花の香りは魅力的で、花を見に普段行かない場所に行けたことはインドアな自分にはメリットだった。
夢の中で西側に生えていた大きな樹を、「樹の神様」と呼ぶことにした。この夢の中では自分はとても受け入れられていたのだ。
そして、「樹の神様」のために場所を空けることにした。夢の中で樹が生えていた場所には、衣装ケースを積んでいた。それまで引っ越しを繰り返しながら住んでいた部屋はずっと和室サイズのクローゼットだった。和室サイズの衣装ケースに衣服を入れ、引っ越しのたびに衣装ケースを入れ替えるだけにしていたのだ。しかし洋室のクローゼットに初めて出くわし、奥行きが足りなかったため床に置いていた。
当時まだ断捨離を敢行していなかったので量は多く、またジャケット等衣装ケースに入れられない服を含めてクローゼットに入りきらい服がたくさんあった。
まずは衣装ケースを数十センチずらすのが精いっぱいだった。その後断捨離を始めて、衣装ケースの数が減っていき、洋室のクローゼットに納まりきる量になり、和室サイズの衣装ケースはすべて処分した。
こうして「樹の神様」の場所はぽっかり空いた。スーツケースがクローゼットに入りきらなかったが、「樹の神様」の場所とは違う角っこに置いてある。
実は「樹の神様」は断捨離をはじめた直接のきっかけではない。当時、自室に何千冊もの漫画を置いていたら床が抜けた人がいるというニュースを聞いて、自分の所持する本をざっと数えたら千冊を越えていて震えた。物が多いまま死んだら遺品の整理が大変であるばかりか、遺品を整理していたらBL漫画とBL小説とBL同人誌ばかりだったと言われそうな自分の本棚を見て戦慄した。それがきっかけだ。
断捨離のお作法なのかコンマリのお作法なのか忘れたが、服から始めるのがうまくいくコツなので、「樹の神様」のために服の整理からはじめたのはGJだったのだろう。
リサイクルショップやオークションで高値で売ろうとか、人にあげるなどして無駄をなくそうとかいうのは欲だ。そう思っているうちはいつまでも物は減らない。最初はとにかくガンガン捨てて、いたずらに物を増やしたことを後悔する、この後悔が再発を防ぐのだ。ある程度物が減ってくる頃には上手な処分や再利用のセンスが養われている。売るなり譲るなりしながら物を上手に減らせるようになるのはそれからだ。はじめから物が少なめならば上手くいくのかもしれないが。
スペースクリアリングをして何か現実的ないいことがあったかというと、答えはノーだ。書籍や記事で読んだ、片づけでお金や良い条件の仕事や恋愛や出世や欲しかった高価な物が舞い込む的なエピソードは、起爆剤にはなったけれど実際は起こらなかった。
スッキリしたならそれでいいではないか、というのは残念ながら自分には報酬にはならない。殊勝な心がけでもいい人でもないのだ。しかし断捨離したけどいいことなかった!と誰かに言われたら、スッキリしたならそれでいいではないかと答える。
こうして第一次断捨離は終了したが、余計な物を増やさないという意味で断捨離はライフワークだ。第二次断捨離に手をつけて、夢の中にいつも出てくる物の少ないシンプルな部屋になればいい。報酬は無いだろうけど、いつ死んでも安心だ。終活のひとつだ。
引っ越しを考えているけれど、「樹の神様」は一緒に来てくれるだろうか。「樹の神様」は家につくのか、人につくのか。現実世界の樹だけでなく、「樹の神様」とも話したい。
追記:物を減らすことを「断捨離」「スペースクリアリング」と表現している。参考書籍は断捨離本/コンマリ本/カレン本